つじ鍼灸院@京都 マニュアルメディスンな治療 目と手首と【ぎぼんの窓】

エッセイ【ぎぼんの窓】

こんにちは。ギボンヌです。

これまでアメブロに書いていた治療に関するエッセイもワードプレスに書くことにしました。

エッセイは【ぎぼんの窓】です。

よろしくお願い致します。

つじ鍼灸院@京都 マニュアルメディスンな治療 目と手首と【ぎぼんの窓】

今日は、京都にある「つじ鍼灸院」へ治療にいってきました。

私は自称「プロの患者」というくらい、患者として玄人になり、ついに「患者」ではなくなりました。

「プロの患者」は技を磨いてゆくと、治療家を見極める目が研ぎ澄まされてきます。

ホンモノの治療家に出会うのです。

だから、結局「患者」ではなくなるのですよね。

辛かったカラダの記憶が薄れてきた48歳です。

その父はまだまだ「患者」です。

今日はそんな父と私のカラダを辻先生に診てもらいにいってきたのです。

「今を生きるのか先を生き急ぐのか」

父のだいたいの状態はこんな感じです。

70代後半。

肉体労働者で、細マッチョ系。

50代にリウマチと診断されていました。

最近は大動脈瘤のオペを受けてお腹を切っています。

その影響も大きいし、オペ後は脳梗塞も何度もやっています。

手足の麻痺などは一時的でしたが、視野欠損になって随分目が見えなくなってきました。

近く白内障のオペもきまっています。

そんな父は最近は手首が痛い、肩が痛い。

膝が痛い、股関節が痛い。

力が入っていない。

あちこち痛くなっていました。

痛くなると決まっていうのは「リウマチの痛みかな?」でした。

今日はチカラが入りにくいことの一端は「スイッチング」(辻先生が短い言葉で言うには自律神経の交通の乱れ)でした。

そして、目が見えにくいことからのストレスか、見えにくくて疲れたことからきているか。

治療するとチカラは入るようになりました。

反応がよくなるという感じでしょうか。

以前、視野欠損とカラダの不安定さで、雨の中転倒して突き指した小指が痛いと言っていました。

それは辻先生のチェックによると手首からきているという。

実は小指の突き指がいつまでも痛いと思い込んでいるだけだったのです。

その証拠に手首を治療すると小指が痛くなくなる。

全身を治療していって、右肩の関節をチェックすると「痛い!」という父。

これも辻先生が調べていきます。

肩が痛む理由は、手をつく時に肩が入っていることで痛んでいるということでした。

その証拠に肩の治療をすると痛くなくなります。

「そんな重いものも持っていないし、無理な動きはしていないのに」

と言う父。

辻先生の説明を聞いていると、全てが父の日常の動きに重なります。

あそこが痛いから、庇って反対側で頑張ろうとすると、反対側で負荷をかけてしまって、痛めている。

日常で「よかれと思ってやっている動き」が積み重なって、痛くなっている。

それが、まるでトレースされたように見えてきます。

辻先生はよく、日常の私たちの動きをまるで見ていたかのように当てます。

それはなるほど、カラダにでているのです。

「お父さん、それとね、動いてる時にもっと先をみてしまってるんです。」

「横着してしまっている」

あーーーー。それはわかるなぁ。

昨夜、お盆に乗せて運んでもらう時に、無理のある姿勢で手を伸ばして持とうとして「重い!手が折れる!」とか言っていた。

まさに、それだなぁと。

そんな動き方をすれば、力がある人でも手首に負担があるよね。

つまり「いま」にいないのだ。

常に先をみて、常に先を考えている。

私の方の治療は、そんなにどこが悪いという大きなものは無くなっていた。

5年くらい辻先生にカラダを診てもらっているけれど、最初の頃のようなしんどいカラダの記憶はどんどん薄れてきている。

今を生きられるようになってきた。

帰り道、父を助手席に乗せて高速を走らせていた。

父は段取り人間である。

「どっちから帰るのか?」

「どっちのスーパーによるのか?」

「どこから曲がるのか?」

「明後日は何を食べるのか?」

とにかく先々のことを考えて今を生きている。

私は子供の頃からそんな父の言葉を聞いて生きてきた。

知らず知らずのうちに先の先を考えるということをトレーニングさせられてきた。

いつも慌てていた。

今の判断自体が狂っていたのだ。

先々を考えているようで、実はなにも考えられていないことに気づいた。

未来を考えようにも、今に足がついていないお馬鹿さんなのだから、的外れなことばかりだった。

それに「しなければいけない」からやっている事は前向きではない。

段取りよく!テンポよく!モタモタせず!すぐに!さっさと!早く!ということを「やらねば」生きていけないのだと刷り込まれて生きてきた。

だから、私は自分の持ち味を活かす事ができないままに40歳をすぎてしまった。

今は、カラダがかわった。

地に足が着いてきた。

物理的に地に足がつく事でココロもかわってきた。

いまを感じて生きられるようになってきた。

父は、今も先々を見て生きている。

自分がどう生きてゆくかは、自分のカラダがわかっているのだと思う。

カラダとココロを仲良く手を繋いで生きていきたいと思った治療だった。

おわりに

「プロの患者」にまでなってしまった私が今1番信頼しているのは辻先生です。

いわゆる、恩人だと思っています。

家族全員が困った時に頼れます。

どんなことも、相談してトータルにサポートしていただいています。

鍼灸師でありながら、ほぼ鍼をしないで、カラダの声を翻訳してくれて、治療してくださるのです。

辻先生の考えと言うよりは、本当にカラダの声の翻訳なのですよね。

最初の頃は私のカラダがこんがらがって絡まっていたので、カラクリ箪笥のような治療だと思っていました。

最近はようやく理解できるようになってきました。

カラダの声から、学ばせてもらっている感じです。

辻先生のところでは「治療」をうけているようで、実は「自分と仲良くする方法」を学んでいる気がします。

みんなが仲良くなってハッピーに生きられるといいよね。

Total treatment center  つじ鍼灸院

Total Treatment Centerのつぶやき「看脚下」
京都市下京区の鍼灸院が日々で感じたこと思うことを呟いているブログです。

今回も大きな学びをさせていただきました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました